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雑記帳

【山での遭難とその後】

槍沢にて


キレットから北穂高


滝谷(写真右端が遭難場所)


2005年山への復帰の一歩
(従兄弟と大渚山で)

2004年の8月5日、2泊3日の予定で、1年程前から山登りに夢中になっていた従兄弟と、槍・穂高の縦走に向かった。

学生時代・長野に帰ってきた依頼20年は経っていた槍・穂高連峰。昨年登った常念から見た槍ヶ岳に登りたい・・という従兄弟の願いをかなう為。

上高地から槍ヶ岳まで1日行程、2日目は大キレットを越えて穂高山荘。そして、前穂から重太郎新道を下り岳沢・上高地とごく一般的なコース。天気も心配ない予想図、快調に1日目は過ぎ、二人で槍の穂先を見ながら乾杯した。従兄弟も今までの山と違って、その景色に大感激だった。
南岳からキレット越えも、天気の良さも手伝って無事通過した。北穂の小屋が12時、ゆっくり休んで、奥穂に向かう。涸沢岳の鞍部に向かう頃から、心配した雨が降り始める。

右側は滝谷だ。C沢上部の通過で雨具を着用、少し岩が滑る感じが嫌な思いだった。

事故はそんな時起きた。アッと言う声で先行していた僕が振り向くと従兄弟が、置いた足の岩に滑りバランスを崩し、頭から急斜面を滑落、スローモーションの映画を見るように、空で2回転、そしてそのまま斜面を転がり落ちる。その下は滝谷の岩場、標高差何百mあるか・・「止まれ!」思わず叫んだ。30m程滑落して仰向けに停止した。その後の救助は無我夢中だった。運良く通じた携帯で救助要請する。雨足が強くなった稜線では、登山者は通過しない。PM2時の遭難から救助隊が3時30分頃到着、ザイルを張り救助隊の一人が下降「ダメージが多きい」の無線、ヘリの救助を要請。雨足が強くなり、ツエルトで暫らく待つ、この時が一番長かった。PM5時雨が上がり、霧が晴れてきた、無線が入りヘリが飛ぶとの事。ヘリが滝谷から、序序に上昇し我々の見守る中、従兄弟は収容され、続いて僕も付き添いの為収容された。     

飛騨の病院で、家族に報告して担当医師の報告を待つ間、初めて身体がブルブル震え始めた。「どうか命だけは・・」という思いで一杯だった。

頚椎の損傷、助骨2箇所、骨盤一部骨折・頭部裂傷、それは生きているのが不思議な位の重症だった。しかも暫らくして背骨の圧迫骨折が判明した。

事故の要因は今考えると幾つかあった。子供の頃から兄弟同様で育った2人、そして

高校時代も、体操で競い合った毎日。どこかに、山だけは負けたくない・・という気が僕にあったのか、それは言ってみればリーダー不在の山行だった。

従兄弟は今もリハビリの日を送る毎日、2005年の初夏、念願の山への復帰を始めた。

以前の様に3000m級の山に登るのには、まだまだ時間がかかるけど、何時か2人で穂高の遭難場所を訪れたいと思ってる。   

2005年6月

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